20210117

阪神淡路大震災から26年

1995年1月17日から26年と言う節目を迎えました。

西宮に住んでいて震災を体験しているぼくにとっては正月や誕生日以上に大切な日です。

ぼくの住んでいた家も、西宮や神戸などの見慣れた街も信じられない被害を受けました。ぼくが住んでいた阪急夙川駅周辺は古い家屋が多く、住んでいた家も近所の家も軒並み全壊しました。

暴力的な、耐えられない揺れ。建物が崩れる容赦ない音、揺れが収まった後隣の棟から「助けて!」という母の声、「大丈夫か!」と叫ぶ祖父の声・・・・
外に出ると割れたから瓦が至る所にありました。まだ真っ暗な中だったのにそのことがなぜか良く分かりました。

家族全員ケガもなかったのは奇跡的でした。
変わりはてた瓦礫だらけの街を歩き、電話ボックスの列に並び親戚に無事を伝えたことを覚えています。

水道やガスは止まっていて、大阪に住む親族が持ってきてくれた救援物資がどれほど有難かったことか。(電車も動かず道路は大渋滞していて長い距離を重い荷物を持ち歩いてきてくれました。)
瓦礫、食器、家具・・人が住んでいたとは思えないような場所になり果てた家の中も黙々と片付けてくれました。

日常生活を取り戻すために何から手を付けて良いのかもわからず呆然としつつも、みんなでひとつひとつのことを解決して前へ進みました。

死者6,434人
行方不明3人
負傷者43,792人
住宅被害639,686棟

これが阪神淡路大震災の被害内容です。ただ数字では計り知れない人の苦しみ、涙があったことを覚えていかなくてはなりません。そして未だ元の生活に戻ることが出来ていない人がいるということを。

2020年から見舞われた新型コロナウィルス感染症の一連の災禍を見るまでもなく、当たり前の日常と言うのがこんなにも有難いものかと思い知らされます。

写真を撮っていること、家族で一緒にご飯を食べること、車で渋滞にはまってイライラすること、お酒を飲みすぎて翌朝が辛いこと、45歳になり体力が落ちてきたこと・・

こんな他愛もないようなことすべてがどれほど幸せなことなのかを、今になって思い知らされます。

そしてその日常の、当たり前の幸せは、いつ消えてしまうか分からないくらい脆いものでもあります。だから本当に大切にしなくてはならない。

1月17日は被災された方を想う日でもあり、自分自身と向き合う大切な日でもあります。

河田洋祐