阪神淡路大震災から今日で30年がたちました。
震災当時のことは今も鮮明に覚えています。当時私は19歳でした。
まだ真っ暗な中突然の強い揺れ。それはあまりに暴力的な、容赦のないものでした。
建物が崩れる轟音、やがて静寂、「大丈夫か!」という祖父の声、瓦礫の何とも言えない臭い・・・
家族は全員が無事でしたが、住んでいた家は全壊し、不自由な生活を強いられることになりました。
そこで勇気付けられたのは周りの方々の助け。
何キロも歩いて思い水や救援物資を持って来てくださった親戚や、水をくみ上げるポンプを持って来てくださった大工さん
暖かいお風呂を貸してくださったり、家具が倒れぐちゃぐちゃになった家の片付けを手伝ってくださったりと、ひとつひとつの親切が私たちに希望をもたらしてくれました。
近所の人たちで助け合いました。給水車が来るタイミングなどの情報交換、時間を決めて川から水をくみ上げてトイレ用の水を配りもしました。
震災から1年たったころには生活は元に戻りつつあり、「あれから1年、早かったね」と母や祖父母と話したのを覚えています。
節目の時には震災のことを振り返りつつも時間は過ぎて、やがて震災からはや30年。
30年という歳月はとても長いものです。震災の時に一緒に住んでいた祖父母は鬼籍に入り、当時19だった私は49になりました。
30年の間に私は結婚し、子供は19歳と15歳になりました。
30年で世代が入れ替わったということです。
生活環境も随分と変わりました。30年前はまだ携帯電話も持っていなかった時代です。
30年前の今日、私が住む西宮も強い揺れに襲われました。
まだ真っ暗な中突然の強い揺れ。それはあまりに暴力的な、容赦のないものでした。
建物が崩れる轟音、やがて静寂、「大丈夫か!」という祖父の声、瓦礫の何とも言えない臭い・・・
19歳だった私は49歳になり、当時と生活環境はすかっかりと変わりましたが、1月17日を迎えると30年前のあの日にタイムスリップしたような気持ちになります。
不自由な生活が続いた中、多くの方に助けられ希望を貰いました。そのことを忘れず生きて行かなければならないと改めて思います。
青空の下に再建された街が存在し、平穏な生活ができることが奇跡だということを忘れてはいけません。
河田洋祐